隅田川のほとり・・・豊島PartU「六義園逍遥」

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zoom RSS 六義園の妹山・背山 その2

<<   作成日時 : 2017/05/25 22:13   >>

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14 妹山 (いものやま)  15 背山 (せのやま)
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2.見山石 おほなむちすくな御神の造れりし妹背の山を見るぞうれしき
24.紀川  人ならば親の思ひぞ朝もよひ紀の川づらの妹と背の山

『六義園記』には、妹背山の歌が二首採られています。見山石(2.やまみるいし)と紀川(24.きのかわ)の境で、詠者は共に「人丸」です。「人丸」は和歌三神の一柱である柿本人麻呂のことです。紀川は『古今和歌集』の理念、あるいは紀貫之の文学観のシンボルであり、ともに六義園の重要な境として造園のポイントとなっています。

【万葉集の背山・妹山】
妹背山は、『日本書紀』大化二年(646)正月一日条に、「兄山」と記されているのが始めです。その後、万葉集には十五首収められています。『紀伊万葉ガイドブック』(資料1)から歌とその大意を下記に示します。掲載順は資料2によります。また詞書の最後にある「年代」も資料2より追記しました。
 妹山の名が初めて見えるのは6の歌です。時期は、神亀元年(724年)、聖武天皇紀伊の国行幸の折が初詠で、「兄山」に遅れること30年。はじめは「兄山」だけだったのが「妹山」があとから考えられ、次には吉野の「妹山・背山」、現在は「兄山」が二峯の山で妹背山との説が展開されています(資料2)。

1. ( 巻1-35) 勢能山を越ゆる時に、阿閉皇女の作らす歌  (持統四年(690))
これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山   
(これやこの やまとにしては あがこふる きぢにありといふ なにおふせのやま)
紀州路にあるとしてかねて大和で私が心ひかれていた背の山。これこそまさしくその名にそむかぬ背の山よ。(阿閉皇女(あへのひめみこ)は天智天皇の第四皇女。持統天皇、文武天皇の後に、第43代天皇となった元明天皇(げんめいてんのう、天皇在位:707〜715年。)

2. (巻3-285)丹比真人笠麿(たじひのまひとかさまろ)、紀伊国に往き、能勢山を越ゆる
時に作る歌一首 (持統・文武朝)
たくひれのかけまく欲しき妹の名をこの勢能山にかけばいかにあらむ
(たくひれの かけまくほしき いものなを このせのやまに かけばいかにあらむ)
口に出して呼びたい「妹」の名を、この背という名の山にかけて口にしてはどうだろう(背の山に代えて妹山といったらどうだろう)

3. (巻3-286) 春日蔵首老(かすがのおびとおゆ),即ち和ふる歌一首 (持統・文武朝)
宜しなへ我が背の君が負ひ来にしこの背の山を妹とは呼ばじ
(よろしなへ わがせのきみが おひきにし このせのやまを いもとはよばじ)
結構なことにもわが背の君同様「背」という名を持つこの山を今さら妹山とは呼びますまい。

4. (巻9-1676)大宝元年辛丑の冬の十月に、太上天皇・大行天皇、紀伊国に幸す時の歌十三首(うちの第10首) 、作者未詳 (大宝元年(701年))
勢能山に黄葉常敷く神岡の山の黄葉は今日か散るらむ
(せのやまに もみちつねしく かみおかの やまのもみちは けふかちるらむ)
旅路の背の山に紅葉が絶えず散り続けている。大和の神岡の山の紅葉は今日散っているだろうか。(大宝元年(701)十月の太上天皇(おほきすめらみこと)は持統太上天皇、大行天皇(さきのすめらみこと)は文武天皇。)

5. (巻3-291) 小田事(おだのつかふ)の勢能山の歌一首 (文武・元明朝)
真木の葉のしなふ勢能山しのはずて我が越え行けば木の葉知りけむ
(まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ)
真木の葉がよく茂りたわむ背の山を、私はゆっくり賛美することもできずに越えてゆくが、木の葉は私のこの気持ちを分かってくれたであろう。

6. (巻4-544)神亀元年甲子の冬の十月に、紀伊国に幸す時に、従駕の人に贈らむために娘子に誂へられて笠朝臣金村の作る歌一首 (第一短歌) (神亀元年(724年))
後れ居て恋ひつつあらずは紀伊の国の妹背の山にあらましものを 
(おくれゐて こひつつあらずは きのくにの いもせのやまに あらましものを)
後に残って恋い苦しんでいないで、あなたの歩いていく紀の国の妹背の山でありたいものを。(神亀元年(724年)、聖武天皇紀伊の国行幸の折の歌。妹之山の初詠。)

7. (巻7-1195)藤原 卿 (神亀元年(724年)推定)
麻衣着ればなつかし紀伊の国の妹背の山に麻蒔く我妹 
(あさごろも きればなつかし きのくにの いもせのやまに あさまくわぎも)
麻の衣を着ると懐かしく思い出される。紀の国の妹背の山に麻をまくいとしい子よ。

8. (巻7-1098)作者未詳
紀伊路にこそ妹山ありといへ玉くしげ二上山も我こそありけれ 
(きぢにこそ いもやまありといへ たまくしげ ふたかみやまも いもこそありけれ)
紀の国に妹山があるというが、二上山だって妹山があったことだ。

9. (巻7-1193) 作者未詳
背の山に直に向へる妹の山事許せやも打橋渡す
(せのやまに ただにむかへる いものやま ことゆるせやも うちはしわたす)
背の山に真向かいの妹の山は、背の山のいう事をきいたのか、妹の山には打橋を渡していることよ。

10. (巻7-1209)作者未詳
人にあらば母が愛子そあさもよし紀の川の辺の妹与背之山
(ひとにあらば ははがまなごそ あさもよし きのかはのへの いもとせのやま)
もし人間だったら母の最愛の子であろう。紀の川沿いの妹山と背の山よ。

11. (巻7-1210) 作者未詳
我妹子に我が恋ひ行けばともしくも並び居るかも妹と背の山
(わぎもこに あがこひゆけば ともしくも ならびをるかも いもとせのやま)
いとしい妻を恋いつつ旅を行くと、うらやましいことに並んでいるよ。妹の山と背の山は。

12. (巻7-1208) 作者未詳
妹に恋ひ我が越え行けば背の山の妹に恋ひずてあるがともしさ
(いもにこひ あがこえゆけば せのやまの いもにこひずて あるがともしさ)
妻への恋心に苦しみつつ山路を越えて行くと、背の山が妹の山と一緒にいて恋い苦しんでいないのが羨ましいことよ。
【句碑は道の駅「紀ノ川万葉の里」にあります。】

13. (巻7-1211)作者未詳
妹があたり今そ我が行く目のみだに我に見えこそ言問はずとも 
(いもがあたり いまそわがゆく めのみだに われにみえこそ こととはずとも)
妹山を通り、妹のあたりを今こそ私は通っているのだ。せめて幻の中にだけでもわが妹(妻)は見えてほしい。ことばはなくとも。

14. ( 巻7-1247)柿本人麻呂歌集 チェック番号
大穴道少御神の作らしし妹勢能山を見らくしよしも
(おほなむち すくなみかみの つくらしし いもせのやまを みらくしよしも)
大穴道(大国主)と少御神(少彦名)に神々がお作りになった妹背の山は見るとりっぱなことよ。
*人丸集は、他人歌を多く含み、その成立は複雑である。持統・文武天皇に仕えた宮廷歌人であるが、実像から離れた歌聖になってゆく。(国歌大観より)

15.(巻⒔-3318) 作者未詳
紀伊の国の 浜に寄るといふ 鮑玉 拾はむと言ひて 妹乃山 勢能山越えて 行きし君 いつ 来まさむと 玉桙の 道に出で立ち 夕占を 我が問ひしかば・・・・・・・・

続く→ 六義園の妹山・背山 その3
【古今伝授秘伝歌】
流れては 妹背の山のなかにおつるよしのの河のよしや世中


資料
1. 『紀伊万葉ガイドブック』監修 村瀬憲夫 和歌山県観光振興課・観光交流課・
(社)和歌山県観光連盟
2.「万葉集の背山・妹山―吉野の妹山・背山をめぐってー」村瀬憲夫、文学・芸術・文化 
18巻2号 2007.3
参考:『古今和歌集』新日本古典文学大系5 校注者 荒井憲之 荒井栄蔵 岩波書店

掲載日:2017年(平成29年)5月25日(木) 曇

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