隅田川のほとり・・・豊島PartU「六義園逍遥」

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zoom RSS 六義園の心橋 

<<   作成日時 : 2017/05/24 11:58   >>

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5.心橋(こころのはし)

「心の泉」の橋なれば、名づけぬ。
又、「こゝろの泉」を汲(くみ)、「言葉の林」にあそび、和哥の浦の「しらぬ汐路(しほじ)」にあこがれ、六義園の草々(くさぐさ)に心をよせて、大和(やまと)言の葉の水上(みなかみ)にさかのぼるも、皆、心をはしにかくるより、あゆみを始(はじむ)るならし。

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心橋 (5 こころのはし)は、六義園八十八境の一つ。「心の泉」は、六義園図にある通り、庭の心から、池の心に流れている。この流れに掛かる橋を一つの「境」としたという事です。
六義園は「和歌の庭」です。六義園の八十八境の一番目「遊芸門 (ゆきのもん)」において柳沢吉保は、「此(この)園に遊ぶ人は、皆、道の遊びにして、治(をさま)れる世を楽(たのし)む音を、三十一字につらぬるなるべし。」と記述しています。つまり、此の園に来た人は、和歌をつくることでしょうと言っています。従ってこの境では、この橋まで来たのですから、そろそろあなたの心の泉から言の葉が湧きだしてきてはいませんか、と言ったところでしょうか。

『古今和歌集仮名序』
 「こゝろの泉」、「言葉の林」の文言からは、『千載集』『古今集』の序文が思い起こされます。六義園に遊ぶ人にとっては不要でしょうが、重要な文章なので古今集の仮名序の抜粋を下に示します。

和歌(やまとうた)は、人の心を種(たね)として、万(よろづ)の言の葉とぞなれりける 世の中にある人・業(こと・わざ)しげきものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。花に鳴く鶯、水に住むかはづの声を聞けば、生きとし生きるもの、いづれか歌をよまざりける。力をも入れずして天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男(をとこ)女のなかをもやはらげ、猛き武士(もののふ)の心をもなぐさむるは、歌なり。

【紀川―しらぬ汐路―和歌浦】
「しらぬ汐路」は中国大陸へと向かいますが、行先は「唐土(もろこし)の吉野—廬山」でしょうか。それとも「行き着く先の知れぬ新しい歌学の道」のことを言っているのでしょうか。蛇足ですが、廬山(ろざん)は中国の江西省九江市廬山市にある仏教と儒教の霊山です。この盧山五老峰南麓の渓谷に建てられた白鹿洞書院(はくろくどうしょいん)は史上初の書院(宋代四大書院の一つ)で、朱熹がこの書院のために定めた〈白鹿洞書院掲示〉は、朱子学の教育理念の精髄として、後世の中国のみならず、朝鮮・日本にも大きな影響を与えました。

「大和(やまと)言の葉の水上」は和歌の道の源泉ですが、「心橋」を渡って行くと、その先は「 紀川」の源流である「紀川上」「吉野」「紀路遠山」となります。「紀川」は、『古今和歌集』の仮名序を書いた紀貫之のシンボルで、この川こそが和歌の歴史そのものです。

六義園「和歌の庭」の泉水は、紀貫之のシンボル「紀川」と和歌の聖地「和歌の浦」及び歌学の道「しらぬ汐路」からできています。和歌に心を寄せる人は、庭園としての美しさを愛でるとともに、橋を渡って存分に和歌の世界をお楽しみください。

【失われた境】
鉄砲垣の右手に新脩六義園碑があります。文化六年(1792)に四代保光が園の復旧工事を行ったときの様子が刻されています。造園後90年が経ち、夕日岡・心泉・心橋は復旧できなかったことがわかります。
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写真:新脩六義園碑 撮影2013/08/08

柳沢吉保が霊元上皇に送った六義園絵巻と現在の写真を示します。心橋だけでなく、付近にあった 2.見山石 3.詞源石 4.心泉   5.心橋. 6.玉藻礒 7.風雅松 などがなくなっています。

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図:六義園之図T 川崎千虎写 国会図書館蔵より       

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写真:心橋   撮影2014/02/05  縦の園路がかっての水路跡か。

【覚え】
◇ならし:連語]《断定の助動詞「なり」の連体形「なる」に推量の助動詞「らし」の付いた「なるらし」の音変化》1 …ようである。2 …のではあるまいか。
◇つらぬるなるべし:つら・ぬ 【連ぬ・列ぬ】B詩歌・文章をつくる。
なる−・べし:…であろう。…であるに違いない。

掲載日:2017年(平成29)5月24日(水) 曇

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