隅田川のほとり・・・豊島PartU「六義園逍遥」

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zoom RSS 六義園の夕日岡 その2

<<   作成日時 : 2017/05/19 18:40   >>

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12. 夕日岡 (ゆふひのをか)

左に、「朝陽岩」あるに対して、右には、此(この)岡なり。
「遊芸門」よりのさし入(いり)なれば、此岡に入(い)る人は、さし入(いる)より、はや風景の面白さに、日をくらすべきこゝちす。
 又、向(むかひ)の方(かた)には、「詠哥石」「片男波」「仙禽橋」「芦辺の亭」、皆、赤人にこゝろよせて、はたばりひろく侍(はべ)れば、人丸の伝授をふくみて、見山石のつなぎにもと。

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【此岡は山部赤人のシンボル】
上記から、「朝陽岩(43.あさひのいはほ)」では「あさもよひき」の縁という事で、「紀」にかかる枕詞「あさもよし」から柿本人麻呂(人丸)の歌と言われる二首が浮かんできます。これは、六義(りくぎ:=和歌)の園に遊ぶ人にとっては常識なのです。
「朝もよひきの川上を詠ればかねのみたけに雪ふりにけり」
「ひとならば親の思ひぞ朝もよひ紀の川づらの妹と背の山」

そして、冒頭の「左に、「朝陽岩」に対して、右に此岡なり。」から、「朝陽岩」は人丸のシンボル、対をなす此岡(夕日岡)が山部赤人のシンボルと見立てられています。
 
【日暮らしの園】
そして、赤人が詠んだ歌「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴鳴き渡る」から命名された境「詠和哥石」「片男波」「仙禽橋」「芦辺の亭」が紹介され、「日暮らしの園」・六義園での、「一日中、時間の経つのを忘れて夢中で遊ぶに違いないこころもちがする」一日が始まります。
◇日を暮らす:一日中、時間の経つのを忘れて夢中で遊ぶこと。(六義園記注解より)
◇ひぐらし【日暮らし】〔古くは「ひくらし」。一日を暮らす意〕 一日中。終日。朝から晩まで。副詞的にも用いる。出典徒然草「つれづれなるままに、ひぐらし、硯(すずり)に向かひて」[訳] することもなく手持ちぶさたなのにまかせて、一日じゅう硯に向かって。
◇べき:推量の助動詞「べし」の連体形 〜にちがいない

■最後に赤人の作と伝えられ勅撰集に載る赤人の歌と「日をくらす」の言葉の詠まれた歌及び「はたばり(端張り) =幅」が広いことを詠んだ歌を紹介して今回は終わりとします。

『新古今和歌集』一〇四、山部赤人
ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ
【通釈】宮廷に仕える人たちは暇があるのだろうか。桜の花を頭に挿して今日も一日遊び暮らしていた。(千人万首より) ◇ももしき:「大宮」の枕詞。 ◇あれや:あるのかなあ。「や」は詠嘆を表す。 
   
『新続古今和歌集』二〇五一、物名、すみれ、俊頼朝臣
ちる花をあかずみればや旅人のしらぬ山路に日をくらすらん
 ◇すみれがよみこまれている。 ◇ばや:終助詞 〜たいものだ  ◇らん:推量の助動詞「らむ(らん)」の終止形 @現在推量 〜ているだろう 〜ているのだろう

『拾遺和歌集』二〇三、ちくぶしまにまうで侍りける時もみぢのいとおもしろく水うみに影のうつりて侍りければ、法橋観教     
湖に秋の山辺を映してははたばり広き錦とぞ見る
(小町谷照彦校注『拾遺和歌集』(新日本古典文学大系 1990年1月 岩波書店)より)

掲載日:2017年(平成29)5月19日(金)晴







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