隅田川のほとり・・・豊島PartU「六義園逍遥」

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zoom RSS 六義園の玉藻礒

<<   作成日時 : 2017/05/16 20:04   >>

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6 玉藻礒(たまものいそ)

俊成
和哥の浦に千々(ちぢ)の玉藻をかきつめて
万代(よろづよ)までも君が見んため

是(これ)は、「心の泉」の流のすゑなり。
「小石多ければ、石の中に玉を求(もとむ)る」事もあれば。
又、「見山石」に、人丸の哥をとりたるより、うけ継(つぎ)て、爰(ここ)俊成の哥をとれり。

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玉藻礒(6.たまものいそ) は六義園八十八境の一つ。文治四年(1188年)に、皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)が、後白河院に千載和歌集奏覧の折に手箱に巻きつけた包み紙に葦手書きした和歌より採られています。(明月記)

『玉葉和歌集』一○九三、千載集奏覧の時いれて侍りける手箱にあしでにまきたりける歌
、皇太后宮大夫俊成
和歌の浦にちぢのたまもをかきつめて万代(よろづよ)までも君がみんため

◇訳:私のもとにたくさんの和歌をかき集めて千載集を撰集いたしました。いついつまでも貴方様がみることができるように。(貴方様の御代に死んでいった方々のことを想い、御下命のとおり供養の集として編みました。)
◇ちぢ【千千】( 名 ・形動 )@ 数の多い・こと(さま)。たくさん。 「珠が−に砕ける」 「和歌の浦に−の玉藻をかきつめて/玉葉 賀」(大辞林 第三版の解説/ブログ)
◇たま‐も【玉藻】藻の美称。本歌においては、「和歌」のこと。
◇かき−つ・む 【搔き集む】:かき集める。出典源氏物語 明石「かきつめてあまのたく藻の思ひにも」[訳] かき集めて海人(あま)が焼く藻塩火のようにいろいろな思いで(胸はいっぱいですが)。(学研全訳古語辞典より)
◇よろずよ:万代。永遠。永久。とわ。( JMnedict Weblio辞書より)
◇『玉葉和歌集(ぎょくようわかしゅう)』は、伏見院の下命により京極為兼が撰進、正和(しょうわ)元年(1312)に奏覧された勅撰集です。

【鎮魂の家集―千載集】
入集歌を特徴づけているのは、うち続いた内乱で敗者となった歌人たちの歌です。崇徳院を始め、平家一門の忠度、経正、行盛、常盛らの歌が読人不知として入集しています。後白河院の勅撰撰集の目的の一つは、敗者の怨霊、特に崇徳院の慰撫にあり、入集歌数四位の二十三首、崇徳院主催の『久安百首』から百二十七首も入集させていることからうかがうことができます。(『和歌史を学ぶ人のために』)
とすると、仙禽橋(27.たづのはし)のそばにある詞華石(20.ことばのはないし)は、崇徳院の『詞花集』を暗示しているようにも思えます。
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写真@玉藻礒、波 (撮影:2012/08/13)
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写真A玉藻礒、六義園図

『六義園記』の序文に、「玉を拾うも、藻を採るも、等しく紀氏の流れを汲み、梅の雲も、桜の波も、共に長き秋の門にありけり。」の記述があります。すなわち、「玉藻礒」は、六義園の理念が紀貫之(紀氏の流れ)や藤原俊成(長き秋の門)の流れを汲んでいることを明示しています。そして、心泉より溢れ出た歌・玉藻は、玉藻礒から和歌浦に流れ込みます。俊成はそれら千々の玉藻の中から、時代の主流となった歌を撰集し千載集を編纂しました。
六義園の心泉(2012/8/30)→千載集の撰集方針

◇綱吉の来園を懇請
上掲の歌で、「君」を将軍綱吉に読み替えると、吉保の綱吉に対する敬意と万代までの祝意が読み取れます。また、是非六義園に来てくださいとも読めます。
◇長き秋の門
俊成には「長秋詠草」という歌集があります。「長き秋の門」は、俊成の弟子という意味になります。俊成・定家の教えを継承したのが「古今伝授」で、吉保は北村季吟から古今伝授を受けています。

資料
1.『和歌史を学ぶ人のために』鈴木健一/鈴木宏子 世界思想社

初回掲載日:2012/09/12
加筆・修正:2017年(H29)5月16日(火)曇

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